2015年4月6日

デザインだけでないApple

・Apple Watchで電話の着信音を消す方法
「電話の着信音を消したい時は一番自然な動作をするだけ。Apple Watchを手で覆ってください。」

Appleらしい「ユーモア」ですね。
こういったユーモアが、Apple製品に親しみを与えていると思うんです。


最近になってIve自身が語り始めたこともあってか、Appleにおけるデザインについて書かれた書籍や記事を見かけるようになり、日本でもデザインとはどういうことかが広く理解されるようになってきたのかもしれません。
しかし、例えAppleのデザイン論法だけを真似しても、Appleのような製品はつくれません。
Appleのユーザーインターフェイス、いえ、ユーザーエクスペリエンスといった中には、多分にユーモアが存在しています。
バウンススクロールもそうですし、iPhoneのホーム画面でアイコンを並び替える際にプルプルと震えたり、MacでDockからアプリを起動するとアイコンがピョンピョン跳ねたり、Macのスリープランプが寝息のように明滅したり、そして、このApple Watchの着信音を消す方法も。
これらの所作は無駄なようでいて、状態を視覚的に分かりやすく、ユーモアを織り交えて「デザイン」されています。
そして、こういったユーモアが、Apple製品にクールなだけではない、親近感をもたらしていると思うのです。


この「ユーモア」というものは、真似をしても、勉強しても、一朝一夕に身につけられるものではありません。
風習と言っていいのかもしれません。
そして、日本には、この「ユーモア」という風習はありません。
はい、「ありません」と言っていいでしょう。
サラリーマン川柳は好きです。あれなんかは、ユーモアだと思います。
ただ、個々人でユーモアを具えている人はいるでしょうが、社会全般として、ユーモアに価値を見出したり、積極的に活用したりすることはありませんし、そもそもユーモアを認識すらしていないと感じられます。


クールなデザインだけでは、文字通り冷たいだけです。
そこに、いかにして血を通わせるか。

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